2012.04.22
『嵐が丘』 エミリーブロンテ
久しぶりに古典読んでしまいました。
『嵐が丘』エミリーブロンテ著
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こちらは名作中の名作ですね。
岩波文庫と言えば、NAPOの中でですが、印刷の文字が小さかったり、行間がつまっていたりして読みにくい印象だったのですが、河島弘美氏は新訳はとても読みやすく、どんどん読み進め気が付けば終わっている・・というような感じで、古典とはとても思えない拍子抜けする読みやすさでした。
これだったら他の古典文学有。挑戦しちゃおっかな~
岩波さんありがとう!!
作中の人物でヒースクリフの悪人ぶりもさることながら、この物語で大きなカギを握るのはやはり家政婦であり、この物語の語り役のエレン・ディーン(ネリー)でしょう。
ネリーこそがこの物語の主人公といってもいいのかもしれません。
彼女は、家政婦であり、あたかも、この復讐劇のイノセントな傍観者のように語ります。
しかし、実際は、物語の重要なポイントポイントで現れて、あるときは積極的にあるときは
消極的に状況をもっとも悪い方に動かす存在なのです。
このネリーについては、多くの評論家が指摘していますよね。
(この本を読んだあとに知ったことですが)
たとえば、ヒースクリフからの手紙をキャサリン(親)に届けるどんな必要性があったの
でしょうか?リントンとキャサリン(娘)との逢瀬をどうしてもっと強く止めなかったのでしょうか。
このあたりも納得できるような、できないような微妙なところをついてくると言った感じです。
ネリーの役割は、市原悦子主演の「家政婦は見た」の家政婦の役割に似ています。家政婦は
使用人ですから、大きな力はありません。しかし、彼女は微妙なバランスで成り立っている
お屋敷に少しの力を加えることで、見事にめちゃくちゃにしてしまいます。その原動力は、
正義感に見えることもありますが、多くは、金持ちに対する無意識の嫉妬と下賤な好奇心なのかもしれません。
ネリーもまたイノセントではなく、彼女自身の無意識の好奇心と妬みにつき動かされて
いるように見えます。このネリーの一種の醜悪さ、そしてそのことに自分で気がつかない
自己内省の欠落にこそ人間の奥深さがあるように思います。
この物語のいいところは、ヒースクリフの復讐劇が終わり、物語の後半は希望(救い)が垣間見られるところです。
それにしてもサマセット・モーム「世界十大小説」の一つに選ばれている傑作だけあってよくできてる作品だな~(他の作品はまだ挑戦していませんが)
過去の映画の解釈もきになるところなので、今度じっくり見てみようとおもいます。
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